2021年12月20日月曜日

目の前の希望、過去の絶望

目の前に希望があるのに、

過去の絶望に引っ張られる。


毒親育ちはしばしばこの現象に

陥ることがあるのではないでしょうか。


例えば、毒親から離れて暮らし、

新しい土地で幸せを掴み、

たくさんの希望に溢れた生活をしている。


それなのに、ふとした瞬間

毒親からの歪んだ愛情によって

自分は周りの人とは違っているのではないか

違わないようにと生きていても

毒親の血が流れている自分は

自分でも気づかないうちに

非常識な人間になってしまっているのではないか


そういった不安が常につきまといます。


振り切ったはずなのに、

どうやってか手紙をよこしてきたり、

電話をかけてきたりする毒親の場合

もっと毒親育ちを苦しめてきます。


そっとしておいてくれることが

何よりも幸せなのに

それを毒親はどうしても理解できない。


毒親は子どもが去った理由を

理解することができないのです。



毒親育ちは、生きてきた中で

どうしても理解してほしいと思って

伝えたりぶつかったりした経験が

一度や二度はあるのではないでしょうか。


普段は口答えなどせずとも、

どうしてもこれだけは分かってほしいと思い

伝えた経験が私にもあります。


しかし、毒親とはそういった子どもの

必死の訴えさえ聞く気がありません。


いつでも、自分の気持が優先なのです。


子どもがどう考えているか、どう感じているか

そんなことよりもまず自分の考えが正しい。

それをどんな方法でも押し通す。

それが毒親です。



もしも今幸せを掴んでいて、

幸せの真っ只中にいるのに

毒親との過去に引っ張られている

毒親育ちの人がいるのなら。



あなたと毒親は全くの別人です。

同じ血が流れていようとも、

今生きている環境は全く違う場所です。


きっと毒親育ちの方は、

毒親のことを反面教師にして

周りの人たちよりも日々気をつけて

毒親のような非常識な人間にはなるまいと

生きていることでしょう。



もう、十分頑張っています。

これまでも頑張ってきたのです。


過去の絶望を見ないことはできませんよね。

忘れることなんてきっとできないでしょう。


それでも、目の前の希望を忘れないでほしい。

忘れそうになったら、今の環境の

周りの人たちに助けを求めてほしい。

頼ってほしい。


絶望ばかりを見つめないでほしい。

確かに、毒親から育てられたのであれば

絶望があった人生だったでしょう。


それでも、今こうして幸せの中にいるなら

それはあなたが、自分の手で掴んだ

自分が努力して見つけた幸せです。


今のあなたが持っている希望が

他の何にも比べられない

あなたの努力の結晶なのです。


過去にとらわれないで。

自分の幸せだけを考えて生きていいのです。


それが本来の、あなたの人生なんですから。


それが人の生きる道なのですから。


誰にも邪魔なんてされません。


あなたが幸せなことが、

一番良いことなのです。

毒親に苦しんでいた人、今も苦しんでいる人へ

 毒親は、条件付きの愛情しかくれません。


成績が良いから、兄弟の世話をしてくれるから、

いい子だから、好き。


どんなあなたでも愛しているとは言いません。


子どもは親の愛情を求めて生きています。


幼少期から親の無償の愛情を与えられなかった子は

大人になってからも苦しみ続けます。


今後一生得られない親からの愛情に飢えて

孤独に苛まれるのです。


運よく、良きパートナーや理解者に出会えたら

希望を持って生きていくこともできるでしょう。


でも、そういった人に出会えなかった毒親育ちたちは

生きることに絶望していくこともあるのです。



毒親に育てられたけれど、親元を離れたから

もう大丈夫だということはないのです。


毒親は、離れても尚私達を苦しめます。


そして、そんなことを微塵も想像しないのです。



もしも親から得られなかった愛情に飢えて

苦しんでいる人がこれを読んでいるのなら。


周りに頼ってみてほしい。


親からは完璧な自分でなければ

愛されなかったかもしれません。


でも、完璧な自分じゃなくても愛してくれる人は

案外そこかしこにいるものなのです。


そもそも、人間はみんな完璧ではありません。

完璧だと思っていても、どこか欠落しています。


その欠落した部分を含めて愛してくれる人、

愛情をくれる人はたくさんいます。


毒親だけが、基準ではありません。



そして、そんな人に出会えるわけがない

そう思っているあなた。


もし出会えなかったとして、

自分が自分を愛することはできます。


例えば、好きな歌手のライブに行ってみる。

いつもは高くて買わない好物を買ってみる。

自分だけのために、何か行動してみるのです。


他人を変えることは簡単ではありません。


でも、自分を変えることはとても簡単です。

まずは、自分が自分を大切にすること。


毒親の目ばかりを気にして、

自分のために生きてこなかった毒親育ちは

これがとても苦手です。


自分を大切にする前に、

他人を優先してしまう。



もうそんな時間はやめましょう。


まずは、自分を愛する時間をつくるのです。


親からの愛に飢えた心は埋まらないかもしれない。

それでも、何もせず苦しみ続けるより

自分を大切にしていく術を身につける方が

何倍もマシなのです。



どん底にいるかもしれません。

でも、明日はもう少しだけ、

明るい場所を生きてみませんか。



私も、そのどん底にいた内のひとりです。


毒親育ちはたくさんいます。

どん底にいることを共有し合うだけではなく、

私は、そこから這い上がるための術を

共有していきたいのです。

2021年12月16日木曜日

親ガチャ失敗

 はじめに


2021年の中頃からよく聞くようになった「親ガチャ」という言葉。

私自身、親ガチャに失敗した子どもの一人です。

親の人物像を簡単にまとめると、

・身体的虐待はしないけれど、心は容赦なく傷つける

・大人なのに子どものよう

・子どもの気持ちよりも自分の気持ちが大切

というものです。


世の中には、もっと酷い親がいるのでしょう。


身体的にも虐待をしたり、育児を放棄したり。

しかし、それだけが毒親ではありません。


子どもの首を真綿でじわじわと締めていくような、そんな親もいるのです。

苦しみは比べるものではありません。

自分よりももっとつらい経験をした人もいるから…

私の苦しみなんて、身体的虐待を受けた人と比べたらマシだ

なんて、過去の私のように苦しんでいる人がいるかもしれない。

そういう方たちへ向けて文章を書いています。


この記事が、誰かの救いになりますように。


2021年12月15日水曜日

人生をつくってくれた先生

家が心を殺す場所だと思っていた

子供の頃の私。 


学校から家に帰る度に、

なんで生まれてきたんだろう

なんで生きなきゃいけないんだろう

そう思っていた私の希望は

先生という尊敬できる存在がいることでした。



親には恵まれなかったけれど、

先生には恵まれた人生。



先生というのは、本当に生徒のことを

思いやって生きてくれています。


世の中、そうではない先生も

いるのかもしれませんが。


少なからず、私が出会った先生たちは

みんな私のことを思いやってくれました。


家庭の問題に介入してくれたわけではありません。


ただ、愛情を持って接してくれました。

それだけで、日々救われていたのです。



何かうまくできたとき、思い切り褒めてくれる。

何か間違えたとき、本気で叱って教えてくれる。


本来であれば、親もその役割を担っているはず。

でも私の親は放任主義という名の

放置、でした。



賞をとっても、成績が良くても

褒めてくれない。

進路に迷っているときにも

お金の話しかしてこない。


毒親って、本当に自分にしか

興味がないのです。


自分がしたことにきちんと反応してくれる

大人が存在している。


それだけで心は救われます。


私の希望になってくれた先生たち

本当に感謝しています。


難しい世の中になっているかもしれない。

それでも、どんな先生たちも

尊敬せずにはいられません。

子どもの心を守ってくれて

ありがとうございます。

呪いの言葉

毒親は無意識に洗脳をしています。


私は小さい頃、動物が大好きでした。

猫や犬を見るたびに、かわいいな

どうしたら喜んでくれるのだろうと

考えていました。



しかし動物の話をする度に親は、

動物はくさい、汚いよ

だから嫌い

と常に返してきていました。


子どもからしたら、大好きな親が

動物を嫌いと言っている。

私も嫌いになるべきなのかも。

動物をかわいいと思うのは

悪いことなのかもしれない。

と考えるようになりました。


それから動物の話はしなくなり、

大人になっても動物のことを

考えることはなくなりました。



しかし、親と距離をおいて数年後、

テレビでたまたま流れていた

動物の番組を見て、幼少期以来

久しぶりに動物ってかわいいと思ったのです。


この感情を否定する人はもういない。

そう思うと、動物が愛おしくて

たまらない存在に思えてきました。


それからは、公園にいる猫をなでたり、

動物園のふれあいコーナーにも行ったり

動物を愛おしいという気持ちを抑えずに

過ごす日々を送ることができています。



もう少し早くこの呪いに気づいていれば、

私の人生はもっと豊かなものに

なっていたかもしれません。


親は無意識に発している否定の言葉。

それはいつの間にか子どもへの

呪いの言葉になっているかもしれません。


もしも動物が苦手だとしても、

自分は動物は苦手だと思うけど、

あなたは動物が好きなんだね。

好きなものがあることは素敵だねと

言ってもらえていたら。


毒親はいろんなことを否定しがちです。


毒親に否定されたことがある人は、

どうかその呪いに気づいてほしい。


毒親に認めてもらえなくても、

自分で認めてあげてほしい。


好きなことがあるって、

とても素敵なことです。


好きなものが多ければ多いほど

人生は楽しくなるのではないかと

毒親から解放された今、思うのです。

2021年12月3日金曜日

兄弟格差


自分が毒親育ちであると気づいた頃から、

同じように毒親に育てられた人の体験談を

読むことが増えました。


その中でも特に共通していたのが、

兄弟格差という問題です。


兄弟同じように接するようにとは言え、

性格の違いもあるため、難しいことはわかります。



しかし、あからさまな格差の付け方は

子供の心にしこりを残します。


私にも兄弟がいますが、明らかに末っ子への

費用のかけ方はすごいです。


私自身、幼少期からお金がないと言われて

育ってきました。

幼いながらに、子育てにお金がかかることを知り

じゃあなぜ私を生んだの?と疑問に思っていました。


常にお金がないと言いながら、

物をぶつけたりして発狂する母親の姿は

今でも鮮明に覚えています。


小さな頃から遠慮することを一番に考え、

家族でファミリーレストランへ行ったときに

注文するのは一番安くて

お腹にたまるホットケーキ。


靴のサイズが小さいからと買いに行けば、

本当は女の子らしいかわいい靴が好きなのに

男の子用の靴がセールであればそれを選ぶ。


幼いながらに心の中と外がばらばらになることに

違和感をずっと抱いていました。


歳が離れて生まれた末っ子は、

とても甘やかされて育ちました。

実際に、私も末っ子は可愛いと思っています。


しかし、上の子には負担しなかった

専門学校の費用を負担したり、

新車を買い与えたり。

そしてそれを、親としてしてやったと

自慢気に上の兄弟に話してくる母親。


資格の費用も、大学の費用も、

一切手伝おうとしなかったのに。


下の子を育てるときには、経済的に

余裕が出てくることはわかります。


しかし、それができるのは、

上の兄弟が我慢してきた事実があることを

忘れないでほしい。



そんなことは、無理ですね。

毒親には、何を期待しても変わりません。

自分が変わるしかない。

自分が離れるしかないのです。


毒親だけではなく、人間皆そうです。

他人を変えることは難しい。

でも、自分を変えることはすぐできる。

2021年12月2日木曜日

顔色を伺い、空気を読み続ける

 


生きていく上で、他人の顔色を伺い、

空気を読み、気を使い続ける。

それは人間として当たり前のことだと

思って生きてきました。


でも、そうじゃない人もたくさんいます。

また、自分自身が苦しくならないように

自然にコントロールできる人もいます。


この異常に他人へ気を使うような

行動の起源は毒親だったのです。



毒親の特徴として、なんの前触れもなく

突然機嫌が悪くなることがあります。


さっきまで笑顔で会話していたはずなのに

一秒後には大きなため息。


皿洗いをしていたのに終わった瞬間家出。


大人になって考えると、きっと親にも

何か何が悩みがあったのだろうと

理解することができます。


しかし、幼少期から繰り返されるその行為は

幼い心を不安定にするには十分でした。


人を嫌いになるって、何かきっかけがないと

なかなかありませんよね。

それなのに、毒親のもとで育つと

今のこの言葉で傷つけてない?

昨日の行動は余計だったかな?

と、常々考えて生きるのです。


普通の人では考えられないような部分で

苦しんでいる毒親育ちの子ども。


きっと毒親は、子どもがそんなことで

苦しんでいるなんて想像もせずに生きています。

娘が性的な漫画を読むのが許せない

 


数々の毒親体験の中でも、

忘れられないことがあります。


それは、友人から借りたちょっとだけ

アダルト要素が入った漫画がきっかけでした。


友人から借りた漫画は量が多く、

帰宅してすぐに二重になった紙袋を

机に置いて手を洗いに行きました。

そしてトイレを済ませ、その間5分程度。


紙袋の上には、メモが置かれていました。


「読む内容を少しは考えなさい。

そんな子に育てた覚えはありません。」


5分の間に部屋に入り、

わざわざ二重にしてある紙袋の中身を確認し

直接注意するわけでもなくメモを置く。


これが親の向き合い方なのでしょうか。



思春期に入ると、少しだけ大人なことに

興味を持ち始めるのは、成長過程において

ごく普通のことであると思います。

そしてその先の行為があり、

自分が存在している。


そのはずなのに、毒親は

自分の娘がアダルトな内容を

見たり聞いたりしていることを

汚いと思い、やめさせたいと思う。


子どもの成長であると

認めることができないのです。


ただはしたない、やめさせたい。

自分は正しい。

それを押し付けてくる親。



こういった行為を小さな頃から繰り返され、

私は人の顔色を伺い続ける、

きちんとしなきゃ嫌われる、

そう怯えて生きる人間になったのです。

一番衝撃だったこと

18歳まで毒親のもとで育った私。

数々の信じられない経験をしてきましたが、

その中でも一番衝撃だった出来事。

それは、私が10代の頃に痴漢被害を

受けたときのことでした。


どこにでもあるようなジーンズ、

どこにでもあるようなTシャツ。

ごく普通の格好をして、バイト帰りに

電車で帰宅していました。


いつもより混んでいる車内。

疲れた身を壁に預けるように、

隅の方で下を向いて立っていました。


すると、なぜか後ろから、

ズボンを超えてパンツの中へ手を入れてくる

男の人が。


幸い、

周囲の人が現行犯で捕まえてくださり、

そこまでの被害で済みましたが、

とても怖い経験でした。


警察の事情聴取等もあり、

当時、まだ謎の義務感に囚われていた私は

一人暮らしをして自立していたにも関わらず

母親に報告の電話をしてしまいました。


その頃はまだ、母親に期待していたのです。

怖かったね、大丈夫?

一言そう言ってほしかった。


でも、母親から返ってきた言葉は…


そんな時間にそんな格好して帰るから。

だから言ったじゃない。


でした。

心配も共感も一切ない、

傷ついた私を突き放すには

十分な言葉でした。



遅い時間に帰ること、

Tシャツとジーンズで外へ出ること。

一度も注意をされたことはありません。


その日を堺に、母親へ期待することは

一切なくなりました。


傷ついても、苦しくても、

自分一人で歩いていく。


ある意味、覚悟を決めさせてくれた

そんな出来事でした。


このように毒親は、子どもの気持ちには

一切寄り添うことができません。


子どもの気持ちより、

自分の気持が大切なのです。


きっとこの言葉を発したことに

後悔する日も、謝る日もないのでしょう。



毒親だと気づいた年齢



自分の親が毒親だと知りながら

生まれてくる子どもはいません。


子どもながらに、一生懸命に親を愛し、

そして愛されたいと思いながら育ちます。


しかし、物心ついた頃に、自分の親は

周りの友人の親とは少し違うことに気づきます。

最初の頃はそんなはずはないと、

受け入れることをしません。

大なり小なり、みんな親からの理不尽を受けて

育っているはずだと信じたいのです。


しかし社会に出て、

それが異常であったと確信に変わるとき。

私は既に20歳を超えていました。


実家から出て、

親から離れて自立しているはずなのに

なぜかいつも苦しい。

何かが起きるたびに、

親に報告しないといけないのではないかとよぎる

謎の義務感。



周りは苦しんでいないのに、

なぜ自分だけこんなに囚われているのか。


原因を突き詰めた先には、毒親がいたのです。


もっと早くに気づいていれば、こんなに

長い間苦しむ必要はなかったのかもしれません。


しかし、世の中の、

親は育ててくれたのだから、

大切にしなければいけないという世間の風潮に流され、

毒親を必死に大切にしようと努力して来たのです。



冷たい書き方をすると、子どもは生まれたいと願って

自分から生まれてくるわけではありません。


親のエゴで、子どもを生み、育てるのです。


それなのに、感謝し、大切にしなければならない

という風潮がある。

その事によって

苦しんでいる人がどんなに存在しているか。


世の中でも、親子での殺人事件はとても多いです。

今苦しんでいる方、どうかまずは

物理的な距離を置いてほしい。


私のように、心はすぐには救われないかもしれない。

しかし、物理的に距離ができれば、

少しずつでも心も離れていくことができます。